☆ル・ショコラ・Bunzoo・オーナーシェフ 
 小林正和(Kobayashi Masakazu)   1949年 11月3日 長野県生まれ

72年、東京製菓学校卒業、神戸や平塚の洋菓子店でシェフを勤めたのち、「ル・ショコラ・Bunzoo」をopen。
小林正和オーナーシェフ



生チョコレート誕生物語

〜時代は昭和〜 それはまだ、日本がチョコレート途上国と言われた時代でした。
パキパキと固くて油っぽいチョコレートではなく、新鮮な生クリームを加えて、とろけるように、なめらかに後味をひく、そんな美味しいチョコレートは作れないものか? ベルギーから届く原材料を前に、いつしか私は、ある一つのイメージを膨らませていました。

「自分のイメージの中に宿る、正体不明のチョコレート」

このチョコを開発する過程で、一番苦悩したのが、豊潤な風味を引き出すことでした。カカオも生クリームも、元をただせば、一つひとつの結晶が集まったものなんですよ。一気に暖めたり、おどろかしたり、室内の温度変化など、ちょっとした事で、その結晶が壊れてしまい、どうしても、本来の風味を損ねてしまうんですよ。洋酒を使って風味をだす方法は、すぐに思いつきましたが、これは、ちょっと、その時のイメージとは違っていました。カカオの結晶を、いかに最後まで壊さずに、生クリームを流し込むか。。。当時の僕は、寝ても覚めても、その事だけを考えていました。
生クリームとチョコの開発


この開発には、とうぜん教科書や見本となるチョコレートは一切ありませんでしたから、自分の理想への追求と、感性だけが、唯一のたよりだったんです。最近、若い人が、上手い言葉で、「自分探しの旅」なんて良く言いますが、自分のイメージの中にある「正体不明のチョコレート」これが何なのかを発見する旅ですよね。


誕生の決め手になった「真実への扉」


溶かして→混ぜて→冷やす、と・・。 来る日も来る日も、この作業のくり返しです。何度も試行錯誤をくり返すうちに、ある日、ひとつの真実を見つけ出しました。それは、「結晶を崩さずに温存する時間と熱量の絶対的関係」でした。「チョコレートに気づかれないように、そぉーと、そぉーっと、 ゆっくり、ゆっくりと、16時間という長い時間をかけながら、少しずつ温度を45℃へ上げてあげるんです。「すると、チョコレートは、 うとうと・・うとうと・・・・と、気持ちが良くなってきて、自分が溶けていくのに、まったく気がつかないんですよ。」


そこへ、一定の温度で調整した生クリームを、やっぱり、そぉ〜と流し込んであげるんですね。チョコレートは、うとうとしたままですから、生クリームが入ってきた事に気づきもしません。そうすることで、それぞれの結晶をこわすことなく、本来のチョコレートが持つ豊かな風味を100%引き出す事に成功したんです。完成に至った時には本当に感動しました。
生チョコの温度とレシピ


生チョコというネーミングにしたのは、生クリームを使うという事もあったのですが、同時に新鮮さもアピールしようと思ったからです。チョコレートに、「生」も「生じゃない」もないでしょう? って時代でしたから、始めの頃は、お客さんも、ずいぶんと、とまどった事と思いますよ。


生チョコの完成。ありのままのレシピと作り方を、いつまでも守り続けて。


当時は、生チョコがこれほどメジャーなものになるとは思いませんでした。ご近所の方達に、美味しく食べていただけたら、それで良かったんだと思います。ところが、この生チョコの噂は、瞬く間に、どんどん一人歩きして、ついには全国から、作りきれないほどの注文が来てしまいました。厨房で独り、連日徹夜して作っても、それを遥かに上回ってしまう量のオファーでした。
生チョコ
1988年、発売当時の生チョコは、
パッケージがなかった。



もちろん今でも、こんな不器用なままでの、完全な手作りですから、たくさんは作ることができません。カットにしても昔と同じ方法ですから、形も微妙にでこぼこして、揃っていませんよね。(笑)

でも、この一粒ひと粒の形さえ、世界にふたつとない生チョコが、
私は、ずっと前から好きなんです。 (M. Kobayashi)



■ 美生活 アトンション dancyu 日本経済新聞より 一部抜粋




茅ヶ崎☆ル・ショコラ・Bunzoo 〜生チョコ〜

☆神奈川県 茅ヶ崎市 中海岸 4-1-38 ル・ショコラ・Bunzoo
電話 0467-50-0366